マリアさん

Imageある交差点で、赤信号を渡ろうとする修道女(カトリックの尼さん)を発見したお巡りさん。とっさに何と呼びかけてよいかわからず、思わず口をついて出た言葉が……

「そこのマリアさん、危ないよっ!」

私メはこの小咄が大好きである。世間がキリスト教の尼さんに抱いている好意的なイメージが集約されているようではないか。その修道女は、見ただけでもそれとわかる服装、おそらくグレーのベールとワンピースタイプの修道服をきちんと着用していたのであろう。

  しかしながら近年では、修道女のすべてがこういった服装をしているわけではない。とくに私メが通っていたミッションスクールでは、もう40年近く前から修道服はほぼ撤廃され、各自が好き勝手な服装をしてよいことになった。私服となれば、髪もそれなりにセットし、靴も持ち物も別個に用意しなければならない。しかし、人並みの服装を整えるには、それなりにお金もかかるし、だいいちセンスというものも必要となる。間違い~はこのとき生まれた♪(←古いなあ(^_^;) 修道服さえ着ていれば(中身はどうあれ)そこそこ見られた彼女たちが、一気に小汚いオバサンと成り果てたのである。

 そもそも修道院というところは、世のしがらみを断ち切り、「何を食べ、何を着るかを思い煩わず」に生きる場所である。修道服はそれを最も端的に象徴するものであろう。これさえ着ていれば、修道者としての認知が得られる。人間の中身なんてぇのはなかなか計り知れないモノであるが、いくら修道服が質素でも、それなりに清潔でありさえすれば爪はじきされることはないであろう。少なくとも現代の日本では。

 教育者であるから、社会生活を営むのに不便だから、特別扱いを避けたいからという理由で私服を着るのも、わかったようでわからない理屈だ。なぜなら、そもそもミッションスクールのシスター先生であることを隠す必要はないわけだし、時と場所を選ばず活動するのに、修道服ほど便利なアイテムはないからである。かのマザーテレサを見るがいい。インドの最も貧しい地域で活動する時も、国家元首やローマ教皇の前に出る時も、マスコミにアピールする時も、常に白地に青線の、あの修道服にサンダル姿である。その姿を見て異議を唱える人は、おそらくいないだろう。

 洋の東西を問わず、宗教および修行には事細かい規定と「型」がある。人間なんていい加減なものだから、型から入らなければ修行などできないのだ。そこのところを無視して、何がミッションスクールだ!と思い続けてン10年。言うまでもなく私メの主張なんぞは鼻であしらわれるだけだけれど、それならそれで、私メも彼女らを修道者とは認めない。100歩ゆずって教育者のカテゴリーには入れてやるとしても。形式主義と笑わば嗤え!である。

 とまあ、ひとしきり毒を吐いたところで、最後にもう一つ小咄を…… 近所の教会の神父さんからスータンと呼ばれるワンピース状の僧服を預かったクリーニング屋さん。仕上がった洗濯物を伝票にどう記載してよいかわからず、思案の末に書いた言葉が、

「アーメンワンピース」

クリーニング屋さんに、座布団1枚!(~o~)

 

 

 

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年の順

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遅ればせながらスマホへの乗り換えを敢行した。それ自体はべつにどってことないんですけどね。寄る年波か、新しい機械モノへのトライが億劫になっている。私メの周辺では、旦那や息子や娘がスマホに変えるからついでに……という人が多いのだが、困ったことにウチにはそのよ~な適当な相手がいないし、若いモンを使えるような甲斐性もない。嫌でも自分でやるっきゃないのである。

 その昔、草鞋を脱いでいた某研究室で、ワープロなるものを買ってみようじゃないかということになった。まだパーソナルワープロがなかった80年代の話である。これだけでもう年がバレるというものだ。当時キヤノンから発売されたばかりのワープロは専用の事務机1台を占領するほどの大きさで、起動するのに3枚のフロッピーを要し、これまた巨大な専用プリンタは連続用紙しか対応しないという物々しさであった。専用机・本体・プリンタの3点セットで、確か100万円を超えていたと記憶している。

 なぜ哲学の研究室にワープロが必要なのか…という議論はさておき(さしずめ現代なら、真っ先に事業仕訳されてしまうだろう)、このワープロで日がな1日遊ばせてもらったのは、誰あろう、私メであった。なぜなら、オジさん達は誰ひとりとして、この機械を動かすことができなかったからである。日頃あ~だこ~だと小難しい理屈で私メを悩ませていた連中が、文章を打つことはおろか、起動の手順すら覚えられないのには驚いた。もっとも当時のワープロは、横書きを縦書きに変更するにもちょっとした「計算式」が必要だったりしたのですがね。

 この時、最年長のオジさんがつぶやいたのが、「こういうのは、あからさまに年の順だなあ……」という一言。いや~ホントにそうですよ。あれから30年近くも経ってみれば、完全に自分が同じセリフを吐く立場にいるのだからね。スマホの設定くらいなら、まだ何とかなるけれど、次世代のPCとなったら、もう人の手を借りるよりほかになさそうである。よく使うアプリやサイトほどログインしっぱなしなので、IDもパスワードも忘却しているし……

 まあなんとか設定をし終えたところで、いきなりフリーズ! 電源入れても動きゃしない。まあこういう時は電池パックを嵌め直せばいいんですけどね。こういう対応もいずれはできなくなるのであろうか。できることならその前に、情報機器など要らぬ世界に旅立ちたいものだが……(^_^;)

 

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目洗い

Image_2松がとれたとはいえ、最近では「成人の日」が妙な位置にずれているので、実質的には10日過ぎまで正月気分が抜けない。盆も暮も正月もあまり関係なく暇な私メにとってはど〜でもいいことだが、堅気の勤め人の皆さんは、生活リズムの立て直しに苦労されるのではないだろうか。要らぬ心配かもしれませんが。

 しかし、暇だ暇だとも言っていられないのが浮世のつらさである。あまり暇だと本当に勤労意欲が失せてしまうので、無理にでも仕事を作り出さなければならない。2011年は大殺界のドン底ということもあり、すべてのことが停滞していたが、(こう言うと、「そんなもん信じてるの?」と聞かれるが、12年周期でコトが回るという考え方はわりと当たっている)、2012年は年明けからちょっと動きがあるので、なんとか底は打ったか?という気もしないでもないのである。

 もちろん私メはもう若くない。さりとて老いてもいない(…と思う)ので、まだ2回くらいは大殺界に見舞われるだろうと思う。このよ〜な時ココロの支えになるのは、やはり先達のお言葉である。年寄どもに囲まれて育ち、超元気なのから恍惚の人(古いなあ)までイロイロとお付き合いしているけれど、おしなべて何らかの仕事をもっている人はお元気である。それがたとえ猫の額ほどの畑であっても大企業であっても。

 年頭にあたり、私自身がお目にかかったお年寄りの中でも最もチャーミングであった方の「元気の秘訣」を紹介したい。数年前に逝去された、ハリウッド化粧品の総帥・メイ牛山氏。お会いした時はもうほとんど最晩年であったが、粋な縞のお召し物にど派手なメガネと指輪、真紅のネイルで、立て板に水のごとく喋りまくるパワーに圧倒された。おそらく最後の最後までそのパワーを全開に保ち、思い残すことなくあっさりと旅立たれたのであろう。

  メイ牛山氏によれば、元気の秘訣は、「早起きをして、朝日に向かって深呼吸し、何度か四股を踏む」ことだそうである。そして一日数回「目を洗う」こと。「ホウ酸水で洗うんですか?」と聞いたら、「いえいえ、水道の水でたくさん!」とのお答えであった。この目洗いは実に効果的で、氏には白内障の治療も必要なかったとか。「女性はいつも楽しく美しく」をモットーに、明治大正昭和平成を生き抜かれた氏であったが、メイクよりもお洒落よりも、その目ヂカラこそが最大の魅力であったように思われる。

  健康によいことについては殆ど消極的であるものの、氏に少しでもあやかるべく、今年は四股と目洗いを習慣にしたいと考えている。四股については、あまりにぴったりの体型なのでシャレにならないけれどね(爆)。しかし、目ヂカラの回復は必要不可欠であろう。なんたって水道水でよいのだ。それでなくても目が汚れそうなモノばかり見せられるご時世。「顔を洗って出直し」 ならぬ「目を洗って出直し」 これくらい、シンプルかつ気合の入りそうな習慣はないであろう。ぜひ日常生活に取り入れて、大殺界最後の年を無事に乗り切りたいものである。

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謹賀新年

 

新年 明けましておめでとうございます。

皆さま、よいお正月をお迎えのことと存じます。

今年こそ、少しでも龍にあやかって

上昇の気運に乗り遅れないよう努力したいと思います。

何卒よろしく お願い申し上げます。

Kinryu2

平成24年 壬辰

元旦

 

 

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自己満足

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うかうかしているうちに半年以上も経ってしまった。この間何があったというわけでもないのだけれど、細木数子氏的には今年は大殺界の底(つまり12年のうちで最も運気が悪い年)らしいので、パワーも出ないのであろう。そういわれてみれば、確かに今年はあまりいいことがない、というか、あらゆることが停滞している感はある。でもまあ、それも自分の怠け心からであると言ってしまえばそれまでだし、ある人によれば、細木方式で計算すると、人生の75%の時間が「凶」であるらしいので、まあ、要するにやる気の出ない年であったのだと言い訳するしかない。

 ともあれ、震災やら超円高やら欧州の金融破綻やら中東の民主化運動やらタイの大洪水やら、おまけに福島のプチ(?)臨界やらと、ろくなことのない1年である。世間がこれだけ揺れているのだから、私1人が無事であるはずはない。ここは大人しくカメのように首をすくめて運気の回復を待つしかない……といいつつ、相変わらず怠けている毎日ではあるが、実はこの秋から一念発起して、再び韓国語の勉強を始めた。始めたと言ったって、この年になってまさかコミュニケーションツールを身に着けようというわけではない。もとより私メは韓ドラにもKpopにも興味がないし、最近では映画も殆ど観ない。ただ、ウチに山積みされているポジャギ関連の書籍をなんとか読めるようになりたいというくらいである。しかし、それだけの理由だったら、たぶん私メの重い腰は上がらなかったであろう。何事もスタート時のエンジンが最も重要なのだ。

 実を言うと、そのエンジンとなったのは他でもない「怒り」である。怒りといってもいろいろあろうが、平ったく言えば「人を舐めるのもいい加減にしろ」といった類の怒りである。誰に対して何を怒っているのかについては、差し障りがあるので、ここでは言えない。それに、おそらくその発火も単発的な理由によるものではなく、これまでの小さな「舐めんじゃねえ!」が積り積もって「臨界」を迎えたのだろうと思われるからである。放っておけばどうなるかわからないエネルギーであるから、何かに振り向けなければ危ない。そこで申し訳ないことながら、韓国語学習にその役を担ってもらったというわけである。

 おかげさまで学習はかなり順調に進んでいる。もとより独学であるから、自己満足以外の何ものでもないが、怒りの矛先をうまい具合にシフトできたことについては、かなりイイ線いっていると思う。この調子で怒り続ければ、来年の今頃は中級テキストくらいは制覇しているであろう。あくまでも希望的観測ですが……

  それにしても、単語って覚えられないもんですねえ。飛行機代の払い戻しで購入した電子辞書の電池があっという間になくなってしまったくらい、同じ単語のヘビーローテーション。しかもそろそろ老眼が始まっているのか、ㅓ ㅏ ㅖ ㅖあたりの線がブレちゃったりする。次なる散財は老眼鏡であろうか。そろそろ歯も危なくなってきているし、片側顔面痙攣は相変わらずだし、血圧は上がるし、老人どもはいよいよボケていてるし……有難いことに怒りのネタは尽きないので、学習意欲は当面衰えそうにないのである。

우습게 보는 게 아냐 !

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千里の道

Gomi_07 現在、ウチを構成している物質の8〜9割は「ゴミ」であると言っても過言ではない。その大半は私が溜め込んだものではないが、処理にあたるのは私だけである。きれいさっぱり処理していいのであれば、これほど簡単な話はない。しかしながら、1つ捨てるにあたってもいちいちご機嫌を伺わなければならないので大変なのである。さらに、諸般の事由により私メは相当額の借金を背負ってボロボロの物置を所有しなければならない身の上にあり、そこに詰め込まれた不要物がまたエライ数なのである。まさに「傷だらけの人生」ならぬ「ゴミだらけの人生」。これらを全面的に撤去するまで、果たして私メの寿命がもつかどうか……

 とはいえ、ぶっつわって嘆いていても埒が明かないので、手をつけられるところからつけるしかあるまい。千里の道も一歩から……ということで、まずは巨大スライド式本棚にン10年かかって詰め込まれたボロ書籍の類から処理し始めることとした。言うまでもなくその殆どは私メのものではないので、本音を言えば書棚ごとうっちゃってしまいたいのであるが、この書棚を解体撤去するにあたっては、おそらく10万単位の費用がかかると推測されるため、中身を少しだけでもカネにしておこう……などとツマラぬことを考えたのである。現時点でようやく3分の1ほどを処分したが、二束三文にも程遠い金額。持ち出しにはならないまでも、労力を考えればマイナス以下である。

 次は家電およびOA機器である。ここ数年でウチから排出されたテレビの台数は、ざっと数えても5〜6台はある。それにもかかわらず、現在においてもなお、ケーブルテレビのチューナーでアナログ機をデジタル化している始末。いったいなぜ、そのよ〜なことになったのであろうか? 謎は深まるばかりである。今回処理すべきテレビ受像器は2台。それに加えてウチには、過去四半世紀にわたり私メが使用してきたワープロ4台(ラップトップ、およびデスクトップ)、ノートPC5台、FAX電話機1台、ラジカセ2台、扇風機1台、電気ポット1台……これらをマトモに処理しようとすればかなりの費用がかかるはずだが、さすがに天も哀れと思召したらしい。某新聞配送センターの特別企画「小型家電どれだけ出してもポッキリ3000円!」という夢のようなサービスのおかげで、見事に一掃することができた。本当は超重量級のヒーターとコピー機もどうにかしたかったのだが、さすがにポッキリ3000円の範囲に入らず、涙をのむことに……それでも積年の澱を少しは流せた気分。アカ新聞だの、何が天の声だよ、などと日頃悪口ばかり言っている○日新聞に感謝!である。

 さあ、今度は衣類だ!と息巻いているが、被災地で多くの方が衣類不足に悩まれているこの時期、古着とはいえ大量に処分するのは気がひける。姑息ではあるがボチボチと小出しに……などと思っていた矢先、友人から怒りの電話が入った。なんでも震災直後、壊滅的な被害に見舞われた某市の知り合いから、「とにかく何もない。何でもいいから送って!」と頼まれ、段ボール数箱分の支援物資を送ったそうである。まだ寒い時期だったので、衣類も見繕って何種類か送った。新品ではないにしても、ほぼそれに近いものばかりだったそうである。ところが数日後、そのうちのいくつかが送り返されてきたのだそうだ。しかも「着払い」で。

 避難所などに膨大な量の支援物資が届いて収拾がつかないという話はよく聞くけれど、個人宛ての心づくしが着払いで送り返されてきたという話は、あまり聞かない。どこかに行き違いがあったのかもしれないし、要らないから返してきただけなのかもしれないが、それにしても着払いとはねえ……被災者支援の難しさを、つくづく思い知らされた気分である。差し上げるのも捨てるのも難しい衣類。まあ、そんなもの買い込むほうが悪いと言われてしまえば、それまでなんですが(~o~)

 

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ロボット

Image あまりに長い間更新していなかったので、もう忘れられてしまったかもしれませんが、更新しようと思っていた矢先に震災があり、被災者でもないのにすっかり落ち込んでしまったため、このような時期になってしまいました。何があろうと容赦なく時は経ち、今日から4月。そろそろなんとかせねば……

 地震と津波は天災であるから、このたびの原発事故の責任をすべて東電に押し付けようなんて気はさらさらない。劣悪な環境の中、事態の収拾に向けて不眠不休の努力を続けておられる方々すべてには、心からお礼を申し上げたいし、個人的にはこの先も原発を維持すべきだと思っている。というより、もう原発なしではこの国の電力をまかなうことはできないであろうから、ここは腹を据えて一から安全性を作り直していくしかないんである。さんざっぱら現代文明を享受しておいて、「もう原発は要らない」などと嘯くのは無責任というものである。それこそ放射能被害を受けたすべての方に申し訳ない。

 それにしても、日本はロボット技術については世界一、二を争うはずであったのに、このたびの事故で一向にその技術が発揮されていないことについて、疑問をもたれた方も多いのではないだろうか。いったん事故が起きれば、放射性物質の数値が上がることは想定できていたはずである。そのよ〜な場合に備えて、せめて測定装置だけでもえっちらおっちら運んで行けるロボットくらい用意されていたっていいものだ……というのは、シロウト考えであろうか? エジプトの遺跡の中まで潜っていくカメラが存在するご時世だ。「村田製作くん」にカメラを背負わせて原子炉付近を撮影してもらうとか。ルンバみたいなお掃除ロボットに現場の土壌や水を採取させて、その場で測定させるとか……「アンタが考えることくらい、とっくに考えてるよッ!」と言われそうであるが、そのわりに海外から提供されるらしい機器の類は、シロウト目にもかなりベーシックなもののように見受けられる。

 その昔読んだ近未来小説に、人体から脳を取り出し、ボディだけ原発事故現場に送って遠隔操作しながら処理を行わせるという話があった。この話の眼目は脳と心の関係であって、原発事故は舞台装置に過ぎないのだけれど、30年以上も前からそれくらいのことは考えられていたのだから、東電にも村田製作くんの1人や2人いたって不思議ではない。医学界ではすでに、数100キロ離れた場所でも遠隔操作によって手術できる機器が開発されている。理論的には宇宙ステーションと地球の病院の間でも手術ができるという。

 おそらくもっとも大きな問題は、そのよ〜なロボットが必要とされるであろう危機を、東電がまるっきり予測していなかったらしい……ということだろう。要するに、ロボットの存在なんて最初っから無視されていたというわけね。この期に及んで誰を追及しても無意味ではあるが、廃炉を完了するにも5〜6年はかかるというなら、日本の科学技術業界がまず行うべきは、冷却プールに飛び込んでもOKなくらいのロボットを開発することである……っていうか、その程度のものなら、研究所レベルではもう存在しているんじゃないだろうか。すぐれた研究開発が実用化されない現状は、あらゆる意味で日本の産業界を閉塞させているけれど、願わくば「使えるもの(もちろん人材も)は何でも使う」精神で、この国難を乗り切ってもらいたいものだと思う。

 ところで件の近未来小説では、本人の知らぬ間にこっそり脳が「コピー」されていて、わずかなタイムラグから、まったく別の人格が生じていたというオチがある。スイッチ一つで、元人格と新人格が入れ替わってしまうのだ。しかも、それぞれの人格がともに主人格でありたいと主張するものだから、どちらを尊重するかは第三者に委ねるしかなくなってしまう。「私はどこにいるのだ!」と、主人公は叫ぶのであるが……いま、いったい東電の主人公はどこにいるのだろう。謎だ。

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反省の弁

Image 今さら言うのもおこがましいが、今年は少し真面目にスキンケアをしたいと思っている。なにしろこの年になるまで「洗顔」だけで何もやっていなかったのだ。もちろん、それなりにお化粧はするけれど、洗っちゃえばあとはそれっきりで、いわゆる一連のスキンケア、つまり、化粧水・乳液・クリーム・美容液・パック等々の商品を系統だてて使うということはなかった。別にポリシーがあったわけでもなんでもなく、単なるモノグサである。もっとも私メは面の皮が相当厚いらしく、いわゆる化粧負けというものには殆ど遭遇しないし、正直なところ、これまであまり乾燥に悩んだという記憶もない。単に鈍いだけということもありますが(^_^;)

 しかし昨夏、数年ぶりに会った同級生の皮膚が妙にどす黒かったのに衝撃を受けた。もともとお餅のような色白ぽっちゃりタイプであったものが、全体的に「こんにゃく」のようなネズミ色に変色していたのだ。だからと言って彼女が身なりを構っていないわけではない。きちんとした外出スタイルで、化粧もヘアスタイルもそれなりに決まっている。したがってその変色は、彼女にとって不可抗力の部分なのであろうが、それにしてもどす黒い……

 彼女と私メは同級生なのであるから、当然のことながら私メのお肌もそのよ〜な変色をきたしているはずである。程度の差はあれ……その後も何度か同じような状況に遭遇し、あまりのどす黒さにがっくりくることが続いた。こうなると自分だけでは判断がつきかねるので、過日友人に便乗して某化粧品メーカーの「お肌チェック」を受けてみたところ、「今のところさしたる問題はありませんが、やはり乾燥と紫外線には要注意」とのことであった。

 餅とは言わぬまでも、私メはどちらかというと色の白いほうである。若い頃はともかく、ここ数年、戸外での作業を必要とする職業には従事しておらず、アウトドアスポーツ、ガーデニングの類も一切行わない。しかし諸般の事情により、壮絶に西日のあたる位置に仕事場があり、室内であってもかなりの紫外線を浴びているため、顔の両端(つまり陽のあたる部位)にかなりシミがある。こういうのを放っておくと、どんどん酷くなるらしいので、ウチの中でもUVケアは必要らしい。あ〜めんどくさい! しかし、同じこんにゃくでも、どす黒いより白いほうにとどめておきたいので、今さらではあるが、少しスキンケアに気を使わねばと反省した次第。

 ……と、ここまで書いて思いついたのだが、手荒れのひどい私メは、お顔のクリームは買わずとも、お手々のクリームにはかなり浪費を重ねていたのであった! つまりこれは、しょっちゅう目にしている手先のほうが、目にみえない顔よりも気になるからである。言うまでもなく、鏡で自分の顔を見る時間より、作業中の我が手先を眺めている時間のほうが圧倒的に長い。鏡を見ることが美容の第一歩ということから考えれば、顔より手のほうが気になるのは当然である。

 というわけで、このところ強制的に鏡を覗く時間を設けてはいるのであるが、そのたびに思うのが、シミよりシワよりタルミより「私の顔って毛深いなあ」ということなんですね。ヒゲおよび眉毛がすごく濃いんですわ(^_^;) イモトアヤコに近かれども遠からじ……である。ヒゲなんか剃り跡が青々とするくらいである。ついでに言うと鼻毛も濃いが、最近ではそのへんにも白髪が混じるようになった。鼻の孔から飛び出す白髪! これはかなり衝撃度が高い。

 しっかし、世の中にこれほど化粧品の広告が溢れているのに、一向にこんにゃくが減らないばかりか増殖しているのは何故なのであろうか? それとも化粧品の数とこんにゃくの数は比例するのであろうか? 自分を棚に上げて(というか天袋に押し込んで)言うのもナンであるが、実際のところ、かけたお金のぶんだけ効果を得ているとはとても思えない例が多すぎるんである。このような場合、おそらく問題はどこか他のところにあるに違いない。とはいえ、それはあくまでも他人様の問題。私自身はとりあえず、今までやっていなかったことをやってみるしかないんである。それもなるべくお金をかけない方向で……無理かな(?_?)

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偏屈

Image_2  あっという間に七草。本当に時間の経つのは速い。ウチでぼ〜っとしているだけで、飛ぶように時間が過ぎていく。なんでも我々は、刺激が少ないと時間が速く感じられるらしい。つまり刺激に満ちた毎日をおくっている人のほうが長い24時間を過ごしているというわけだ。科学的にもそれは正しくて、アインシュタインによると、光速で移動すれば時間が止まるそうである。したがって光速とはいわないまでも、限りなくそれに近い速度で移動できるロケットが開発されれば、「1光年」も1年より短い時間で到達できるのだ。おそらく宇宙遊覧ツアーが実現するのも、そう遠い話ではないであろう。まあ、それまで生きてはいないだろうけど。

 寿命といえば、元旦の新聞に高峰秀子氏の訃報があった。享年86歳。よくも悪くも偏屈を貫き通した後半生である。見事というよりほかない。しかもこの偏屈、なぜか私メにもよく似た部分があるので、けっこうシンパシーを感じちゃったりするのである。人間、ある程度の年齢になったら、自分の偏屈を認めてやってもいいのかもしれない。

 とはいえ、これはあくまでも気分的な問題なので、声高に表明するわけでもないし、実生活に大きな変化が生じるわけでもない。それでも、考え方ひとつでかなりストレスが軽減されることは確かである。これも一種の「断捨離」か? そうだとすれば、高峰秀子さまさまである。偶然とはいえ、彼女の最晩年に意識を向けられたのも何かのご縁かもしれない。そのよ〜なわけで、今年のスタートは例年になく清々しい気分である。

2011年もスローペースの更新になると思いますが、何卒よろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。

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身辺整理

101217_campaign3 身辺をすっきり整理したいという願望は、年末でなくても常にある。で、願望が大きければ大きいほど、実現は限りなく遠い。おそらくそれが可能になる頃には、コッチの寿命が尽きているのではないかと思われるほどである。いざとなったら全てばっさり断捨離できるよう、必要最低限のものだけを移動できるような「ハコ」を用意しておかねばならない……というのが、当面の私メの課題なのであるが、それにしたって必要なものだけを分別するには要らぬものを捨てなければならないことに変わりはないので、結局のところ元の木阿弥なのである。嗚呼(T_T)

 しかしながら、実現可能は別としても「理想」は高く掲げたいものである。部屋の広さと収納は、あればありしたがい…というのが亡き曾祖母の口癖であったが、それならいっそ、真っ白なハコのような部屋に入れ子方式でハコを積めばいい。いま私メの頭を占めているのは、そのよ~なハコの組み合わせである。かつて仕事でお世話になったあるデザイナーの事務所がまさにそうであった。長方形のスペースを白い壁とガラスだけで仕切り、その一角に同形のボックスが整然と並ぶ「資料庫」があった。余計なモノは一切置いていなかったが、ミーティングルーム(一枚板のデスクがあるだけ)の一辺にだけ、斬新なアート作品が置かれていた。それは絵であったり写真であったりオブジェであったり、その時々で変わるのだけれど、なにしろ他に装飾がないので、否応なく目立つんである。効果という点ではこれ以上のものはない。

 そろそろ人生も終盤戦を迎えようという年末である。あの世には何ひとつ担いでいけないわけだし、逆にそろそろヤリたいことはやっておかないと、後顧に憂いを残すやもしれない。いろんな意味でね。こう見えて私メはけっこ我慢の子(古いなあ)であるのだが、人様を頼れない身であればこそ、容赦なく切り捨てることもできよう。というわけで、来年の私メの目標は、ハコづくりへの第一歩を踏み出すことである……って、来年の今頃も同じコト言ってるような気が、今からするのであるが(^_^;)

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